坐禅で不眠・うつ・パニック解消

~必要のないストレスから解放されるために~

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他人の目を気にしないで自由になる考え方

      2015/12/09

世界的に見ると日本人は他人の目を気にしすぎだと言われる事が多いです。
他人の目を気にしているという事は、無難に生きたいという事の表れであり、出る杭は打たれるという言葉通り、自分が世間から浮いているものと捉えられる事を恐れているという事が言えるかもしれません。

この考えを長い間ずっと抱いていると、頭の中に”ある思考”が消えなくなってしまいます。
それは、「べき」「はず」「でなければいけない」「これが当たり前」などと言うような生き方を枠にはめ込むような思考です。

一見これらの思考は役に立つ事が多いです。
歩く時は右側通行で歩くべきだとか、電車は降りる人を優先して乗る人は後から乗るべきだとか、お酒を飲んだら運転しないのが当たり前だというように、自分のせいで他人に迷惑が掛かかってしまう可能性のある事に関してのこれらの思考は、集団的な社会生活を送る上でとても大切な事だと思います。

ところが、他人に迷惑を掛ける可能性は殆どない行為にも拘らず、「べき」や「はず」だと考え続けてしまい、気の抜きどころが分からなくなってしまって心が疲れてしまう人が多いように感じます。

必要のない「べき」思考はやめる

例えば、休日に朝起きたらまず朝食を食べ「なければいけない」と考えたり、家で一日中ゴロゴロ「してははいけない」などは考える必要は無いと感じます。

朝起きて朝食を作るのが面倒だと感じたらお昼にブランチを食べれば良いし、外に出るのが億劫で一日中ゴロゴロしていたいと感じたらそのようにした方が良いです。

そして、「あー、本当は○○しなきゃいけないのに」というように、「自分はダメだな」というような事は本来感じる必要はないのです。

他人に迷惑を掛けずに自分のしたい事をするという事にストレスが発生する事はありません。
それにも拘らず、休日に「何かしなければ」と考えながらも家から一歩も外に出ない事でなんだか気分がどんどん落ち込んでくるという人は、この「べき」思考を取り除く事を意識してみると良いかもしれません。他人の目, 気にする, 克服, 自由

他人の目を気にする事で変わってしまう習慣

例えば道端で躓いてしまって転びそうになった時、「おっと危ない」と思ってポーズをとってしまう事があります。

これは、「恥ずかしい」という気持ちや「本気で焦っていると思われたくない」というように、周りに視線が気になってしまう事でポーズをとってしまう、一種の防衛本能のようなものなのだと思います。

このポーズを人前でしてしまうのならまだしも、自分ひとりしかいない家の中で無意識にポーズをとってしまうような事はないでしょうか。

小さい頃に親から「転びそうになったらポーズをとりなさい」と言われた訳でもなく、誰からも教わった訳でもないのに無意識にやってしまう。
他人の目を気にするあまり、自分自身に刷り込まれてしまった習慣と言えるかも知れません。

もっと自由に、もっと自分らしく

自分が転んでしまう事が恥ずかしいと思っているなら、他人が転んでしまう事も同じように恥ずかしい事だと思っているでしょう。
転ぶことだけでなく、自分の周りの人に対して「人前で話をする時に手が震えるなんてみっともない」「あの人緊張して顔が真っ赤になっていて面白い」「うつ病で会社を休むなんてダメな人だな」などと普段から思っていると、いざ自分がそのような状況に陥ってしまった時は自分を責め続ける事になってしまいます。

他人からどう思われていても気にしないという事は、他人に対しても同じように気にしないという事です。
よく考えてみれば、人間が生きていく上で道端で転ぶ事や体調を崩す事があるのは避けて通る事はできない当たり前な事ですが、それを極端に気にするという事は異常だと考えられないでしょうか。

それらを気にする事を止めたいという人は、まず気にしてしまっている自分に気づく練習をしましょう。
そして、そんな自分に気が付いた時には、心の中で静かに「また気になってしまっているのだな。気にしない、気にしない」と小さく念じてみると、それほど気にならなくなってくるはずです。

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